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風に乗って、面白い話題が飛んできます。〜色んな所〜色んな人から。はじめ時々〜後しばしば。

◎448 行くと必ずいいことがある・・日記(2015/12/20)

♪ 2015.12.19 (土) 早稲田奉仕園スコットホール
♪ <諸田広美・松原聡>ジョイント・リサイタル 2015

コンサートはチマローザのオペラのアリア(メゾソプラノ)、スカルラッティのソナタホ長調(ピアノ)・・・とご夫婦がほぼ1曲ずつ順番に演奏。あいだで主に松原さんが短い解説をなさり、要所要所で奥様の広美さんがコメントやエピソードを加えられる形で進み、第1部は小林秀雄の「落葉松」、次にショパンの「英雄」ポロネーズでFIN。

第2部は、クリスマスちなんだ3曲のあと、ロシア音楽に移る。グリンカの「炎は血に燃えて」A.ルビンシュテイン「夜」の2曲を歌われたあと、諸田広美さんがごく最近ロシア歌曲のコンクールで優勝されたことが発表された。納得!聞いたことのない曲だったがすごい歌唱力で、大昔ロシア語を学んだことのある私の耳に、言葉自体はすっかり忘れたけれど、イタリア語や日本語とはちがうロシア語の力強い音の響きが聞こえたのでした!ここでスクリャービンのピアノが入り、ロシア歌曲最後は、ムソルグスキーのオペラ「ホヴァンシチナ」のアリア、ショパン「ノクターンop.15-2」ビゼー「カルメン」より「ハバネラ」でFIN。

ピアノと歌、それぞれの「十八番」のアンコールにほっこり暖まって、久しぶりの早稲田の道をはずんで下りました。先約をずらしてもらって行った甲斐のある演奏会でした。

日本は音楽会や演劇、美術展等など催しが多すぎて、「知られる」「知らせる」「見つける」「行く」ETC.が大変難しい。自分にとって「いいものを見つける」直感を持ち続けたい。

またまた例のごとく過去にさかのぼり…。

♪ 11月24日(火) 音楽の友ホール
♪ 音楽の友読者招待イヴェント ♪< ショパンコンクールへの道標>

当日いただいたプログラムが、目下も積み上がっている書類や本のどこかに隠れてしまい、演奏者のお名前など間違えてはと書けなかった、とても印象深い良い催し。昨日発売の「音楽の友」誌にレポートが載っているようです。よかった。

♪2015.12.4 (金) 東京文化会館小ホール
♪全音現代音楽シリーズ・その22
♪四人組とその仲間たち 室内楽コンサート<四の探求>

作曲:池辺晋一郎、新実徳英、西村朗、金子仁美、鈴木純明
主催・制作:全音楽譜出版社
演奏:クァルテット・エクセルシオール

四氏が四人組のメンバーで、各回ゲストの作曲家を招いて(今回は鈴木氏)の新作発表演奏会。演奏はクァルテット・エクセルシオール。時間が経ってしまってあの日耳が受けた刺激的な感動を言葉にできない。4本の弦楽器奏者がこんな響きができるの?!というほど多種多様の奏法で楽しませてくれました。

♪ この二つは音楽の友社、全音楽譜出版社と音楽出版社ならではの、密度の濃い主催演奏会でした。愛読者招待、面倒がらずに出してみることオススメ。



◎447 帰宅(2015/11/22)

11月21日(土) 6時am. 空が白く明るくなって山の姿がだんだん見えてくる。2年前この部屋で見たテレビは、村岡花子さんのドラマの現地での準備と宣伝。葡萄の季節が終わりかける時期で、緑の葉茂って光輝く葡萄棚を見つけられた時の現地スタッフの責任者の笑顔を今も覚えている。

今年の山梨の話題の主はもっぱらノーベル賞の大村智さん。「山梨からビル・ゲイに匹敵する人材を。」と、県内の小学生に科学を遊びで実学する「山梨科学アカデミー」の体験教室や、山梨大学に「ワイン科学研究センター」を創設されたり、「燃料電池ナノ」の研究発表を、他学科の学生に聞かせたり(使用言語は英語!)、韮崎大村美術館を建てられたり…。現地で聞くその地の話題は身近に感じられ面白い。

途中から見たので、最初の方の話題は正確には聞き逃したが、「温泉を掘りました。地域で使ってください。」というのがあった。地元の方で入院されているお風呂友から、小学生の頃石和の畑で突然温泉が噴き出し大騒ぎになったこと、畑しかなかった石和が温泉街にもなったのは、それが源という話を聞いた。

病院から歩いて15分くらいのところに「温泉が湧き出た記念公園」(正確な名称忘れた。もっといい名前。)を発見。今は残念ながら寂れていて使っていないようだが、足湯ができるようになっていたのは確かな感じ。駅前の観光客がいつでも使える足湯にとって変えられたのだろう。そしてその近くには、石和の温泉配給センター(これももっと立派な名前だったと思う。)があり、温泉の詰まった巨大なタンクが誇らしげに建っているのも発見。

11月22日(日) 7時am. 部屋から見える景色が変わった。山の姿はなく隅田川と対岸の中央区の高層ビル。堤に犬を連れて散歩する人や走っている人の姿が見える。昨日元気に帰宅。新宿の雑踏が恐くて、静かで自分の物に溢れる我が家に一目散。病院での規則正しい時間割を少しは見習いたいと思う。

11時、山梨からの宅配便がもう届く。正確で迅速な宅配便に私たちはどれだけ助けられていることか…。病院で見たTVの、留守宅に夜間も2度3度と配達に行かねばならない業者さん(特に下請けの)の苦労話を思い出した。当たり前のことながら、せめて自分の物を頼んだ時や、定期的に届く物については、忘れずに家で待つこと!

山梨滞在を知って気にかけてくださっていた方々、ありがとうございました。



◎447 フランスのよく似た地名(2015/11/21)

1) Chartres = シャルトル=パリから南西に約80km離れた町で、フランス国内で最も美しいゴシック建築のシャルトル大聖堂で有名。毎年9月にオルガン・コンクールが催されています。

2) La Chatre = ラ・シャトル = アンドル県に属し、ジョルジュ・サンドの館があるノアン近辺で一番大きな町。ノアンショパン音楽祭は、ノアンのジョルジュ・サンドの館と、ここラ・シャトルのモーリス・サンド劇場で催されます。

3) Chatres = シャトル = ドルドーニュ地方に属す。ここは行ったことがなく、今見つけました。<ラ>がない。

(注)3つの町の <a> には、帽子がつきますが、文字化けするので省略しています。

これらの町の名前は、特にカタカナ発音をすると、とてもよく似ています。
ノアン音楽祭に関連のある町は、ラ・シャトルです。間違わぬよう!


◎446 パリからの便り(2015/11/19)

「遠いところからの優しいメッセージありがとう。私と私の周囲の者を心配してくださっていること、起ったことに唖然としている私たちパリジャンとフランス人のことを考えてくれていることに心を打たれています。

私の家族と周りの者は元気です。兄と甥はSaint Denis のスタジアムでサッカーの試合を見ていました。観衆も選手もテロリストの襲撃があったなんて知りませんでした。幸いにもセキュリテは万全で、出口でのパニックはなく、外に出てから何か深刻なことが起こったことが分かったそうです。帰りのRERとメトロは停まっていたので、義姉が車で彼らを迎えに行きました。14才と24才の甥たちは少したってから大ショックを受けた次第です。

Bataclan のカルチエは私の家の近くで、襲撃の1週間前の金曜の夜、私はマンドリンのグループと食事をしました。会の規定を決めていたの。あなたはこの活気にあふれた界隈をよくご存知だからお分かりでしょうけど、ここのテラス席で才能のある素晴らしい若いミュージシャンと会合を持つのは私の一番の楽しみなの。

土曜日パリは死の町でした。車が一台も通らず、人っ子一人いない通りを窓から見るのは初めての経験でした。生活は続きます。月曜日人々は仕事場に出かけました。

東京であなたが元気になさっている姿を想像しています。地震の前に訪ねたあの町で一緒に過ごした時のことをいつも思い出しています。あなた方はあの過酷な体験に勇気を持って打ち勝たれました。私たちも同じようにこの悪夢のような災難を克服したいです。」Antoinette

 東日本の地震・津波災害は、フランスでも連日連夜報道されました。体育館などの小さなスペースで、食料の奪い合いもなく、助け合って過ごす日本人の姿は感動を呼んで、あれ以来フランスにおける日本人の人気はとても高く、日本人に関心を持つ人が増えました。日本に関する報道も格段に増えました。褒めすぎと思うこともありますが、民間レベルでは私たち日本人は本当に評価が高いのです。政治家が私たちをそして世界中の人を裏切ってはだめですよ。


◎446 パリの友からの便り(2015/11/18)

「メールありがとう。私たちは元気にしています。私の家族も私たちの周りの人々もパリでのこの恐ろしいドラマの被害を被っていません。いつものように、お昼前にLの家に寄ってアペリティフを飲みながらお喋りします。普通の楽しい生活を続けることも私たちの抵抗です。また明日書きます。」Alicia

これを書いている途中に、イヴ・アンリ先生からお見舞いメールへの返事が来ました。よかった!(涙) 読んでください。

「そう。全くの悲劇です。私は、金曜日の夜、まさにフランス・スタジアムにいました。なんと爆発の1時間前にその場所を通ったのです。
 こんなことが二度と繰り返されることのないよう、政府が必要なことをすることを願うばかりです!」Yves


◎445 だんだんわかってきて(2015/11/18)

ひとつ前の便りで書いたカリヨンは、Rue Bichat にあるカフェ・バーでした。私が心配しているRue Charonne でも、一軒のレストランが襲撃されました。テレビによると、La belle epoqueのようです。パリの人々が花を手向け黙祷されていたレパブリック広場は近いところです。そう言えばシャロンヌ通りからショパンが眠るペール・ラシェーズ墓地へは歩いていける距離です。


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