パリぶらぶら音楽散歩「ショパンとその時代を感じて」(2010年/Mr.Chopin 200才!)
フレデリック・ショパンは、1810年3月1日ワルシャワ近郊のジェラゾヴァ・ヴォラで生れ、1849年10月17日パリで永眠しました。
1831年9月8日ウィーンから馬車で旅を続けていたショパンは、ワルシャワがロシアに占領されたことをドイツで知り、ポーランドに戻ることをあきらめて、9月末にはじめてパリの土を踏みました。以来彼は生涯の大半をパリ9区のアパルトマンで暮しました。現在、ギャラリー・ラファイエットやプランタンがある通りから、どちらかといえば、オペラ座とは反対方向へ上る地域です。(どんどん上り続けたらモンマルトルの丘に着きます!)
最初の住まいは、長い細い階段をえんえんと上らねばならない所でしたが、レッスンや楽譜出版などで、生計が安定するにつれ、条件の良いすてきな家を求めて引越しをしました。ほとんどがぶらぶら歩いてまわれるこの界隈にあります。ただパリの道は大改革されたので、道が変わり、建物も当時の面影を残していないものも多いです。
ぶらぶら歩いていると、どこかでショパンの足あとを見つけ、どこかから音楽が聞こえ、当時のパリの香りが漂ってくるかもしれません。
ショパンのパリの住まい
(1)ポワソニエール大通り(Bd.Poissoniere)27番地5階(日本式には6階)
1831年9月11日〜1832年秋
≪ぼくは、道路に張り出した鉄のとても優雅なバルコンをひとり占めしています≫
(2)シテ・ベルジェール(Cite Bergere)4番地2階
1832年秋〜1833年6月半ば
≪ぼくは、大使やプリンス、大臣たちにまじって上流社交界の一員になりました≫
(3)ショッセ・ダンタン通り(Rue de la Chaussee d'Antin)5番地
1833年6月半ば〜1836年9月
≪ここの部屋は、仲間たちが集まるのに最適です≫
(4)ショッセ・ダンタン通り(Rue de la Chaussee d'Antin)38番地
1836年9月半ば〜1839年9月
≪ショパンはルイ・フィリップ時代の様式で整えられた住居を選びました≫
(5)トロンシェ通り(Rue Tronche)5番地
1839年10月〜1841年11月
≪このアパルトマンは完璧に思えるが、なぜこんなに安いのだろう?≫
(6)ピガール通り(現ジャン・バティスト・ピガール通りRue Jean Baptist Pigalle)20番地
1841年11月〜1842年9月
≪ピガール通りへの引越しの手伝いをするという君の申し出は有難いが遠慮したい。あまりに甘えすぎていると思うのだ≫ (と言われつつ、友人のフォンタナはやはりいつものようにショパンをいっぱい手伝いました!)
(7)スクアール・ドルレアン(Square d'Orleans)9番地
1842年8月5日〜1849年5月末
≪ここは、貴族的な趣味のエレガントさ、静けさに満ちた場所で、すべての意味でショパンの性格や好みにぴったりのところです≫
※ (7)と(8)の間で、1849年5月末〜9月前半 シャイヨーの現在トロカデロ広場になっている丘の上に住みました。
(8)ヴァンドーム広場(Place Vendome)12番地
1849年9月半ば〜1849年10月17日(昇天)
≪ぼくは今旅をするべきではないでしょう。南に下りパリに残ります≫
(2010/11/30)
ショパンの足あとがあるかもしれない所
(9)パレ・ロワイヤル
1849年9月半ば〜1849年10月17日(昇天)
≪パレ・ロワイヤルの劇場側の回廊の仕立て屋で、14フランの麻のブルゾンを買ってください。37番地か、47か57番地、どこにでもあるような店です≫
※ショパンは当時は貴族やお金持ちしか入れなかったここのお得意さんだったらしい。
(10)マドレーヌ寺院(La Madeleine)
(11)ロマン派美術館Musee de la Vie romantique(16 rue Chaptal)
※開館:火曜日から日曜日 10時から18時(祝祭日は休み)
※常設館は入館無料
※画家のアリ・シェフェール(1795-1858)のアトリエと住居がパリ市立美術館になっています。特別展と常設展の館に分かれ、常設館はジョルジュ・サンドのサロンの雰囲気が再現されていて、ガラスケースにはサンドの装飾品や身の回りの小物など思い出の品々のほか、ショパンとサンドの石膏の手などが、壁にはドラクロワや彼の弟子だったサンドの息子のモーリスの絵などが多数展示されています。2階には住居の主のアリ・シェフェールの作品が展示されています。
※この館に流れる音楽は、イヴ・アンリ演奏のショパンの曲です。
(12)ショワズール通り(rue Choiseur)15番地
※ドラクロワが住んでいた所(1828)
(13)ノートル・ダム・ドゥ・ロレット(rue Notre-Dame de Lorette)54番地
※ドラクロワが住んでいた所(1844)
楽譜屋
(14)サントノーレ通り(rue Saint-Honore)175番地
アルフォンス・ルドゥック
※パリ最古の楽譜出版社の店
※10hから13h30、14h30から18h45 (休)土・日・祭
(15)ローマ通り(rue de Rome)59番地
フルート・ド・パン
※専門別にローマ通りに3店舗
※10hから18h30 (水)14h30から18h30 (休)日・祭
(16)ローマ通り(rue de Rome)45番地
アリオーソ
※店の前で楽譜のバーゲンをほとんど毎日している貴重な店
※10h30から19h00 (休)日・祭
※ローマ通りには、楽譜屋や楽器店が並んでいます。最寄りのメトロ駅は、サン・ラザール(上り道)か、ユーロップ(下り道)です。
その他
(17)プラース・デュ・マルシェ・サントノーレ(Place du marche Saint-Honore)
※サントノーレ市場広場です。広場を囲んでおしゃれなカフェやレストランが並んでいます。まあパリでカフェがない通りはありませんが…。
(18)モンマルトル大通り(Bd. Montmartre)10/46,Passage Jouffroy
ホテル・ショパン
※19世紀半ば、パリでは屋根つきアーケードが大人気でした。そのひとつパッサージュ・ジョフロワ内にあるホテルです。ショパンにとくに関係はないでしょうが、一度泊まってみたい気がしなくもないホテルです。
その他:地図番号なし
パリ・オペラ座
(2010/12 修復中)
※10hから16h30 劇場内見学(約2時間・8ユーロ)
※バレエ・オペラ(古い時代の作品が多い)・たまにオーケストラの公演
※オペラの字幕はフランス語
オペラ・コミック(サル・ファヴァール)
※オペレッタやオペラの公演が主です。字幕がないかもしれません。
※トリニテ教会でオリヴィエ・メシアンがオルガンを弾く時は長蛇の列だったそうです。サン・ロック教会、サン・トュスタッシュ教会では、よくコンサートが催されています。
ペール・ラシェーズ墓地
※メトロ3番線 Pere-Lachiseから近い。または Gambettaで下車、大通りを徒歩10分あまり。
※地図の数字は、区画です。道路の名前は省略していますが、区画の表示看板をたよりにお墓を探してください。
※ショパンのお墓の祈念碑は、サンドの娘ソランジュの夫である彫刻家クレサンジェが製作したものです。いつ行っても拝む人の姿がありお花が飾られています。
※墓地は緑が多く静かで、観光客やパリ市民にとって憩いの公園ですが、同時に実用的に今日も使われている墓地です。昨日の弔いのために悲しい気持で訪れている人もあることをどうかお忘れなく…。
国立ドラクロワ美術館
フィュルステンベルグ6番地(6 rue de Furstenberg 6e)
※サン・ジェルマン教会からすぐ近いところですが、迷って行けなかったという話をしばしば聞いています。門に書いてある番地を見のがさないで!!!
※9h30から16h30 (休)火
※5ユーロ(同日内なら、ルーヴルの入場券で入館できます。
ブールデル美術館
アントワンヌ・ブールデル通り18番地(18 rue Antoine Bourdelle 15e)
※10hから18h (休)月・祝
※ショパンには関係ないですが、ロダンの弟子でベートーヴェン大好きの彫刻家の住居とアトリエが素敵な美術館に。ベートーヴェンの彫刻が奥の部屋にずらっといっぱい。
サン・シュルピス教会
パリでもっとも広くて豪華な教会の一つ。入ってすぐ右側にあるサン=アンジュのシャペル(chapelle des Saints-Anges)で、ドラクロワが描いた天井画「悪魔を打ち負かす聖ミッシェル」と二作の壁画「ヤコブと天使の戦い」「聖堂から追い出されたヘリオドール」を見ることができます。1862年にカヴァイエ・コルによって再建されたオルガンはフランスで一番大きく優れたものです。
※ここでモーツァルトの晩課のミサ曲と、イヴ・アンリ伴奏のシューマン「流浪の民」、オーケストラとともに「ピアノ協奏曲第2番」からラルゲット、ピアノ独奏「子どもの情景」、ショパン「英雄ポロネーズ」、遺作の「ノクターン」を聴きました。(2010/11/25)
シテ島とサン・ルイ島
(1)パリ・ポーランド歴史文芸協会/パリ・ポーランド図書館
La Societe Historique et Litteraire Polonaise/Bibliotheque Polonaise a paris6,quais d’Orleans 75004 Paris(パリ4区オルレアン河畔6番地)
Tel.01 55 42 83 83 Fax 01 46 33 36 31
虐げられ亡命を余儀なくされた人々が集まり助け合うために、1838年に創設されたこのポーランド図書館は、パリ・ポーランド歴史文芸協会とともに、膨大な図書と資料、自筆書、絵画、彫刻、歴史的な写真、古い紙幣やメダルなどなどを保存、管理し、今日では世界にポーランドの文化を献呈するもっとも大きな組織のひとつになりました。サン・ルイ島の中心にあり、現在もパリに住むポーランド人のオアシス的存在です。ホールではコンサート、講演などがよく催されています。
■Salon Chopin/ショパンのサロン
■Musee Adam Mickiewicz/アダム・ミツキエヴィッチ博物館
■Musee Boleslaw Biega/ボレスアウ・ビエガ博物館
ガイド付き見学の受付:木曜日 14h〜17hごろ 土曜日 9h〜12hごろ
※変ることがあるので事前に確かめてください。
※見学ガイドはポーランド語、フランス語が主です。
※2010年ショパン200年生誕記念の展覧会でショパンのサロンが大きくなりましたが、永久的な拡張ではないようです。
(2)ランベール館
Hotel Lambert 2,rue Saint-Louis en l’ile(パリ4区 サン・ルイ島通り2)
ワルシャワ蜂起のあと、フランスに亡命した貴族の中心的存在であったチャルトリスキ公が1843年ごろに買いとり、パリ在住のポーランドの文化人の活動の拠点となった館。ショパンもここを訪ねるのを楽しみにしていました。館の主は何度か変わり、今では内部をのぞくことは不可能です。外観を眺めて写真を撮るだけ…。
(3)サン・ジュリアン・ル・プーヴル教会
(4)サン・セヴラン教会
(5)サント・シャペル教会
(6)サン・ルイ・アン・リル教会
※これらの教会では当日券で入れるコンサートがしばしば催されています。
※サント・シャペルの夜のコンサートに行く時は、裁判所の入り口のおまわりさんに言うと、通してくれ入り口を教えてくれます。
※ノートルダム大聖堂でもオルガンコンサートほかコンサートが催されます。
※※教会の入り口や中のポスターやパンフレットで日時を知ることができます。
モンソー公園とサル・プレイエル
プレイエルホールとショパンの像のあるモンソー公園は、徒歩10分から15分のご近所です。地図や標示板のない、広いモンソー公園内で、ショパンの像を探す方が何十倍も難しい。以前見つけられなくて公園内のキオスクでたずねたら、まったく反対の方向を教えてくれました。この地図はきっと役立ちます!
<雪のヴェルサイユ宮殿をパチリ> 2010/12/02
1.パリ市内からヴェルサイユ宮殿へは、RER C 線を使うのが便利。
※アンバリッド駅で日本語の注意書きを発見!
※同じホームに行き先のちがう電車が入るので、掲示を確かめて、Versailles Rive Gauche 行きに乗ること。
※パリ市内からヴェルサイユ駅まで、往復6.10ユーロ、パリの乗車駅で買うこと。
2.終点の駅ヴェルサイユ・リヴ・ゴーシュ(Versailles Rive Gauche)で下車。
3.降りて右の方向に進み、左に曲がって並木道を進むと、宮殿が見えてくる。
4.この日ヴェルサイユ宮殿の庭は雪で覆われていました。なんたる静寂。
5.Takashi MURAKAMI の金色のブロンズ像「Oval Buddha」も寒そう。
6.午後5時過ぎ駅への帰路、道の左側にあるヴェルサイユ市役所のイルミネーションをパチリ。正面広場にスケートリンクが建設中、まもなく子どもたちの歓声が響きわたるでしょう!
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