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風に乗って、面白い話題が飛んできます。〜色んな所〜色んな人から。はじめ時々〜後しばしば。

◎497 Au milieu du chemin de la vie … 人生の道の半ばにて (2019/03/03)

28/02/2019
下記文章8のフランス語原文は、Non ! で始まっています。日本語翻訳は、そうだ!・・・ここではあまり顕著ではありませんが、日本語では例えば、「今雨降っていないよね?」と聞かれた時の答えは、「うん、降っていないよ。」か、「いや、降っているよ。」ですが、フランス語の場合は、主文が否定文だと、必ず「Non ! 降っていないよ」、肯定文だと「Oui ! 降っているよ。」と言わねばなりません。なかなか慣れにくく、その上、否定文にこっくりうなづきながら答えてしまうものだから、よく不思議がられます。でも、私は上の例のような否定疑問文に対する答えという点では、日本式が理にあっているのではないかといつも思っています。

アナトール・フランス〔献辞〕3日目 風便り ◎494 ◎495 ◎496 ◎497 (本日)

7. Je ne l’accuse pas. Elle ne m’a pas fait les blessures qu’elle a faite a tant d’autres. Elle m’a meme quelquefois caresse par hasard, la grande indifferente ! En retour de ce qu’elle m’a pris ou refuse, elle m’a donne des tresors aupres desquels tout ce que je desirais n’etait que cendre et fumee. Malgre tout j’ai perdu l’esperance, et maintenant je ne puis entendre dire : “A demain !” sans eprouver un sentiment d’inquietude et de tristesse.

 でも彼女を責める気はない。彼女はあんなにも多くの他の人々に与えた傷を、私には与えなかったからだ。彼女は気まぐれに私を愛撫してくれたことも何度かあった。この背の高い冷淡な恋人は!彼女が私から取り上げたり、私にくれなかったもののかわりに、彼女は私に数々の宝をも与えてくれた。その宝にくらべれば、私が欲しがっていたものすべては、灰と煙にひとしいものでしかなかったのだ。それはともあれ、私は希望というものを失ってしまった。そして今、「では明日!」と言われるのを耳にする時、不安と悲哀とを感ぜずにはいられないのだ。

8. Non ! je n’ai plus confiance en mon ancienne amie la vie. Mais je l’aime encore. Tant que je verrai son divin rayon briller sur trois fronts blancs, sur trois fronts aimes, je dirai qu’elle est belle et je l’a benirai.

 そうだ!私はもはや私の古い恋人、人生に対して信頼をもっていない。しかし、私はまだ彼女を愛している。彼女の聖なる光りが、3つの白い額に、私の愛する三人の額の上に輝いているのを見るかぎりは、私は、人生は美しいと言い、人生を祝福するだろう。

◎496 Au milieu du chemin de la vie … 人生の道の半ばにて (2019/03/01)

27/02/2019
  Nel mezzo del cammin di nostra vita…(イタリア語:人の世の道のなかばにて…)アナトール・フランスが文章の冒頭にかかげたこの叙事詩「神曲」の作者、ダンテ・アリギエーリ(Dante Alighier) は、1265年にイタリアの都市国家、トスカーナ地方フィレンツェに生まれ、1321年9月14日に亡くなった詩人、哲学者、政治家です。ついでながら、フランツ・リストの「巡礼の年第2年イタリア」の終曲、「ダンテを読んで」は、1837年から39年までマリー・ダグーとイタリアに滞在中に、ダンテの「神曲・地獄編」に着想を得て完成された作品です。
 さて前に言った通り「献辞」が書かれたのは1885年、著者が41歳の時でした。すなわち著者にとって、「人生の道のなかばにて」の半ばは41歳。彼はまるで約束を守るように、1924年10月12日80歳で世を去りました。私が人生の半ばをしみじみ感じたことはあったかしら?あったとしたらいつ、どんな状況で?そしてあなたは?

 ♪ アナトール・フランス〔献辞〕 風便り ◎494 ◎495 ◎496 (本日) ♪

5. Nel mezzo del cammin di nostra vita…
  Au coin du feu qui meurt, je reve et je me figure que cette maison de famille, avec la chambre ou luit en tremblant la veilleuse et d’ou s’exhalent ces souffles purs, est une auberge isolee sur cette grand’ route dont j’ai deja suivi la moitie.

  人の世の道のなかばにて…
 消えかかっている火の傍で、私は夢想し、そして、家族が住まうこの家、常夜灯がゆらめきながら照っていて、この清らかな寝息の洩れるこの家は、私がすでにそのなかばを辿ってしまった人の世の大道の上に、ぽつんと立っている宿屋なのだと考える。

6. Dormez, cheris ; nous partirons demain !
Demain ! Il fut un temps ou ce mot contenait pour moi la plus belle des magies. En le prononcant, je voyais les figures inconnues et charmantes me faire signe du doigt et murmurer : “Viens ! ”. J’aimais tant la vie, alors ! J’avais en elle la belle confiance d’un amoureux, et ne pensais pas qu’elle put me devenir severe, et elle qui pourtant est sans pitie.

眠れ、いとしい者たちよ。明日はまた旅立ちだ!
明日!この言葉が私にとって、この上なく美しい魔法の時を持っていた時があった。その言葉を口にするだけで、未知の、美しい、数々の姿が私に指で合図をし、「おいで!」と囁くのが眼に見えたのだった。あの頃、私は人生をそんなにも深く愛していたのだ!私は人生という女人に対して、恋する男の曇りのない信頼をいだいていた。彼女が私に対して過酷になりうるとは思っていなかった。しかし、人生こそは無情な女なのだ。
(つづく)

◎495 Au milieu du chemin de la vie … 人生の道の半ばにて (2019/02/28)

26/02/2019  アナトール・フランスは、フランスの詩人、小説家、批評家、ノーベル文学賞受賞(1921年)。彼はパリのセーヌ川・マラケ河岸19番地(19,Quai Malaquais)、セーヌ河畔の名物、ブキニスト(古書店)の家に生まれたそうです。今日この住所を知ってびっくり!
 実は、いつか探し出したこの住所の建物のプレートには《ジョルジュ・サンドは、1832年から1836年まで、ここのブルーの屋根裏部屋に住んでおり、ここでレリアを書きました》と書かれていたのです!稀代の女流作家ジョルジュ・サンドがノアンの実家へ移った8年後の1844年4月16日に、未来の大作家アナトール・フランスがここに誕生したわけです。
 けれども育ったのは少し先の15番地で、その建物の正面玄関のプレートには《アナトール・フランスは、1844年から1853年まで、ここで育った》と書かれているということです。今度パリへ行ったら確かめに行きます。サンジェルマン・デ・プレのボナパルト通りを北上するとつきあたる河岸で、右手に芸術橋(Pont des Arts)、左手少し先にオルセー美術館(Musee d’Orsay)が見えます。パリで歩くたびに発見のある大好きな場所の一つです!
 この作品は、1885年、著者が41歳のときに二人の子供と妻のために書いた回想録です。 (1)献辞 (2)白衣の婦人 (3)金色の目をしたマルセル (4)エドワード王の子供たち、4編のうち、(1)献辞をテキストの通り、11の節に分けて読み進みます。風便り◎494から読んでください。

 〔1〕DEDICACE 献辞

3. Mon dieu ! je savais, il y a vingt temps, qu’il faudrait en arriver la : je le savais, mais je ne le sentais pas. Je me souciais alors, du milieu du chemin de la vie comme de la route pour Chicago. Maintenant j’ai gravi la côte, j’ai retourne la tete pour embrasser d’un regard tout l’espace que j’ai traverse si vite, et le vers de florentin me remplit d’une telle reverie, que je passerais volontiers la nuit devant mon feu soulever a des fantomes. Les morts sont si legers, helas !

 ああ、20年前にも、私は、いずれはそこに達しなければならないのを知ってはいた。私はそれを知ってはいたのだが、心に感じてはいなかった。当時の私は、人生の道のなかばを、シカゴへの道ほどにしか心に留めていなかった。今、こうしてその坂を登りつめ、頭をめぐらして、私がたちまちのうちに経てきた道程を、一望のうちに振りかえって見ると、かのフローレンスの詩人の詩句は、亡霊を呼び覚ましつつ、燃える火の前で夜を明かしたいと思うほどに、深い夢想で私の心をみたすのだ。死者とはいかに悲しいまでに軽やかなものであろう!

4. Il est doux de se souvenir. Le silence de la nuit y invite. Son calme apprivoise les revenants qui sont timides et fuyant par nature et veulent l’ombre avec la solitude pour venir parler a l’oreille de leurs amis vivants. Les rideaux des fenetres sont tires, les portieres pendent a plis lourds sur le tapis. Seule une porte est entr’ouverte,la, du cote ou mes yeux tournent par instinct. Il en sort une lueur d’opale ; il en vient des souffres egaux et doux, dans les quelles je ne saurais distinguer moi même, celui de la mere et ceux des enfants.

 思い出に耽るのは甘味なものだ。夜のしじまが人をそこへと誘う。夜の静けさが亡霊たちの心をやわらげる。亡霊たちはもともと臆病で人目を避けたがり、闇と孤独がなければ、彼らのなつかしい生者の耳もとに話しかけに来ないものなのだ。窓のカーテンは引いてある。ドアのカーテンも、重いひだを作ってじゅうたんの上に垂れている。ただひとつのドアだけが軽く開いており、私の視線はおのずとそこに注がれる。そのドアからは乳色の明かりがひとすじ洩れている。規則正しい、おだやかな寝息がそこから聞こえてくる。そして、その寝息のどれが子供達ので、どれが母親のかは私にも区別できない。
 眠れ、いとしい者たちよ、眠れ! 
                              (つづく)

◎494 Au milieu du chemin de la vie … 人生の道の半ばにて(2019/02/25)

25/02/2019 一つ前の風だよりから11ヶ月空白の日が続いた。書きたい音楽会や素敵な出会いがいくつもあったというのに・・・。2018年6月の4週末をノアンフェスティバルショパンに通い、7月は1週間まるまる、音楽祭のほとんどすべての演目を聴いた。その間にパリショパンフェスティバルも2日間楽しんだ。この三つのフェスティバルについては、昨年も音楽雑誌「ショパン」9月号・10月号ににレポートを書いた。私は新聞・雑誌・本…印刷物を読むのも書くのも好きで、いつものことながら雑誌に書いたのと同じような事を書くのはどうかなあとも思い、こちらはまったくご無沙汰となる始末。覗くことすらしなかったこのだらしなさでは、この3月更新代を払う時期にHPを閉じることを考えねばならないと思う。

さて今日から3月5日まで、真面目な一作の風便りを書きます。ここ(どこ?あとで明らかになる)へ来る時に、音楽書以外のフランス語の本をと、何気なく持参した本を読み始め、ここの環境でこの作品に出会えた偶然に身が震える思いです。仏文対訳シリーズの一編で、フランス語原文と文節に分けた対訳と簡潔な説明があり、最後に日本語の文章全体が読めるというフランス語教科書の古典的な叢書です。私はここの某所で某時間に音読し、少しずつ覚えようと企てていますが、覚えられない!書いたら少しは頭に入るかと、少しずつ書いていきます。日本語訳は自分でも試みましたが、ここには訳者の佐藤房吉さんの名訳を掲載したいと思います。お付き合いください。なおフランス語特有のアクセント記号は、文字化けするので省きます。不完全なフランス語になりとても残念ですが仕方がありません。

          “Le Livre de mon ami” Anatole France
         「わが友の書」アナトール・フランス 著
         小林 正 監修  佐藤房吉 訳注 / 評論社

〔1〕DEDICACE 献辞
             31 decembre 188…
1. Au milieu du chemin de la vie …
Le vers, par lequel Dante commence la premiere cantique de la divine comedie me vient a la pensee, ce soir, pour la centieme fois peut-etre. mais c’est la premiere fois qu’il me touche.

人の世の道のなかばにて…
ダンテが「神曲」の最初の讃歌をそれで始めるこの詩句が、今宵も心に浮かぶ。恐らく百度目でもあるであろう。しかし、しみじみと胸を打つのは初めてだ。

2. Avec quel interet, je repasse en esprit et comme je le trouve serieux et plein ! C’est qu’à ce coup j’en puis faire l’application à moi meme. Je suis, a mon tour, au point ou fut Dante, quand le vieux soleil marqua la première annee du quatorzieme siecle. Je suis au milieu du chemin de la vie, a supposer ce chemin egale pour tous et menant a la vieilles.

私は深い感慨を持ってそれを心のうちに繰り返し、そしてそれがいかにも意味深い、豊かなものに思われる。それというのも、今や私自身が、それをわが身にあてはめうる年齢になっているからだ。私もまた、太古から照り続けた太陽が、14世紀の最初の年を刻した時にダンテがいた地点にいるのだ。私は今人生の道のなかばにいるのだ。もしこの道が、万人にとってひとしく、そして今や老年へと人を導く道ならば。

                                  (つづく)

◎493 所変われば France - Japon(2018/04/06)

22/03 昨年の夏京都に3週間滞在したフランス人の友達とパリの日本レストランで再会。頼まれた書道用の筆と和紙の練習帳(扇型の素敵な紙)を渡す。この店の店員さんはすべて日本人で若いキビキビした人たち。フラ友が書道を勉強中と言うと「えっ?」という感じでどうもわからない様子。私の時代はお習字が小学校の必修科目だったが今はそうでもないようで、本当に残念なことだと思う。

それで思い出したが、フランスの学校では音楽の授業はないらしい。その代わりに地区に公立のコンセルヴァトワールがあり、安い授業料で手軽に好きな楽器を習い必修でソルフェージ等の授業も受けられる。音楽は誰もがやらねばならない勉強ではなく趣味で、(だから?!)本気でやるものなのだろう。

書道も同じなのかしら?私は嬉々として習ったわけではないが、授業があったおかげで硯・墨・大筆・小筆・半紙・文鎮などという用具とその使い方、字画・ハネ・トメ(だったかしら?)など字の正しい書き方の基礎がうろ覚えながら何となく身についたのが今になってとても有難いのだけど。

日本をえらく気に入ったフラ友は、今度は「日本の四季」を過ごしたい(奇しくも私の語学学校留学動機とまるで同じ理由)と、来年2月京都の同じホテルをすでに予約。奈良のお水取りと高野山行きが計画に入ったそうだ。

お互い好きな国への旅の思い出話は尽きなかったが、彼女が思い切ったように始めた話には思わず涙がこぼれた。幼い頃から厳しく育てられた彼女は、日本で「初めて、大人の人から親切に優しく世話をしてもらった」と言う。一般的フランス人の普通の生活をほんのわずかながら、経験的に知っている私には、彼女が当時フランスで育った環境と私の日本でのそれとの違いが十分に想像できる。

明るくて積極的、日本への憧れを表に出す彼女だから、他の人以上に出会った日本人から親切に応対してもらえたのは確かだが、それを差し引いても日本人本来の穏やかさや、慣れないでいる人に言葉がわからなくても何とか助けてあげる精神が彼女の心の琴線に届き日本への憧れが確かな愛へと昇華したにちがいない…。彼女が会った日本人に感謝!

私のフランス語よりもなお初心者の日本語で(英語はほとんど頼りにしていないと思う)、日本を無事にあちらこちら訪ね、これだけの心境に達すことができたのは、彼女が書道を一生懸命学び、日本研究をこつこつ続けてきたおかげでもあろう。来年の日本滞在ではどんな展開が待ってるだろう。楽しみ。


◎492 所変われば Paris(2018/04/02)

パリではスーパーやデパートなどおよそ人が集まる所には頑強そうなガードマンが立っておられる。カバンを見せて機械を当てて通してもらえるのだけど、私などこちらから見せようとしても「オッケー、オッケー!」という感じでニコニコ通れてしまえる。上手に変装している犯人かもしれないのにといつも思う。

10/03 フランス人の友達と久しぶりに会った。当時は知らなかったが彼の奥さんは私が昔通っていた語学学校の先生をしておられる。2015年1月17日シャルリ・エブド紙本社が襲われたテロ事件以来日本人の生徒が減り続けて今は本当に少なくなったらしい。彼の奥さんは次年度は契約してもらえないかもと悩んでおられるそうだ。そういえば日本人の旅行者にも滅多に会わなくなった。中国や韓国からの観光客にはあちらこちらで会うというのに・・・。

さてその彼らが個人教授をしている日本人のお宅に招かれすごく美味しいものをご馳走になったという。さて何でしょう?答えられなかったが牡蠣フライ。なるほど!フランス料理には日本のように美味しいいわゆるフライ料理はないし、冬は特に牡蠣は豊富でフランス人のもっとも好きな食べ物のひとつであるようだから、そりゃ受けるわ。実は私は大昔初めてフランスに来たとき、生牡蠣の銀皿盛りを食べ過ぎてその夜気分が悪くなりそれ以後牡蠣が食べられない。フライにしたら平気とわかっていても食べる気にならないので作れ(ら)ない。あれができたらフランスでの日本の家庭料理レパートリーの一番人気になるだろうに残念!

14/03 “Concert de lancement du Nohant Festival Chopin 2018” 「ノアン フェスティバル ショパン ランスモン コンセール」:6月の4回の週末と7月18日から24日までの1週間催される今年のフェスティバルの全プログラムが発表された。音楽祭に参加するアーティストの中から10数人が来られ、ピアノ独奏、室内楽の演奏を聴いた。チェリストのアンリ・デマルケットやピアニストのエル・バシャたちすでにおなじみのアーティストの他、若手のアーティストの素晴らしい演奏が続いた。会長のイヴ・アンリ先生は演奏だけでなく、司会進行、挨拶、譜面台の移動などなど、その場で必要なことをさっさとなされていた。いつものことながら、その身の動きの闊達で自由な様子がフランスのフェスティバルのあの雰囲気が象徴されているように思われ、その音楽祭に今年も行けることが嬉しくてたまらない。

今年は、ユーロピアノ主催の「ノアンフェスティバル7月期まるまる鑑賞ツアー」が企画されていて、本日そちらの予約も開始されたはず。そちらに私も同行する予定。楽しみ!関心あれば、お問い合わせください。


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