フランツとマリー ~手紙と音楽で綴るリストとマリー・ダグー、愛の日々~ 特設ブログ

「フランツとマリー」初演本番(4) ノアン音楽祭 2011.6.16 

朗読とピアノ演奏がほぼ交互に演じられ、「フランツとマリー」のノアン初演は盛大な拍手で終わりました。5曲目のあと、演奏された曲は、次のとおりです。

6.巡礼の年第1年「スイス」より≪オーベルマンの谷≫

7.パガニーニの奇想曲第24番による練習曲 

8.超絶技巧練習曲 No.8 ≪狩猟≫

9.リゴレットによる演奏会用パラフレーズ 

 10.悲しみのゴンドラ No.1 

 11.葬送曲 詩的で宗教的な調べ No.7  

どうです?この曲たち!曲の間のフランツとマリーの話、想像してください。
そして9月12日、初めから終わりまでを聞きに、見にいらしてください。
好きか嫌いか、人によって好みはちがいますから、何とも言えないけれど、発見があることだけは確かです。

 

 左からYves HENRY,Brigitte FOSSEY,Alain CAREE
   プログラムより ビッグ・ニュース
  ブリジット・フォーセイさんは、あの名画「禁じられた遊び」のかわいらしい子役です。  
  あの作品で賞を取り、以降映画や舞台で活躍しておられる非凡な方でした。

2011/08/23

「フランツとマリー」初演本番(3) ノアン音楽祭 2011.6.16 

1835.5.25 マリーは、8年間連れ添った夫のダグー伯爵に手紙を書き、子供を残してパリを離れます。
 6.1 リストがパリを出発。二人はスイスのバーゼルで落ち合う約束でした。マリーはこの出立   に母親を連れて来ました。何にも知らないで娘との旅行を楽しんでいた母は、娘の決意を数日後に聞かされることになります。バーゼルのホテルに着いたマリーはバーゼルのポスト止めでメッセージを送ります。二つとも差出人の名前を書かないでメッセージを送っています。

 バーゼル,2 juin 1835
あなたの旅籠の名前とルーム・ナンバーを教えてください。外に出ないで待っていてください。母はここにいます。あなたがこのメッセージを読まれてから、母に言います。今は、まだ言う勇気がないのです。わたしにとってはこれが最後の重い試練です。けれど、わたしの愛は信仰で、わたしは殉教の苦しみを渇望しているのです。水曜日 Drei Konige(ドライ・ケーニゲ)にて (フランス語)

バーゼル,4 juin 1835
あなたに会うまでは外に出ません。ぼくのホテルはCigogne(シゴーヌ)、2階の20号室です。右側です。yours (英語)


Musique   5   バラード No.2

 

2011/08/14

9月12日王子ホールまでの道(4)

線路は続くよ、どこまでも~~~~~~はるか昔ユースホステルで歌った歌を、とつぜん思い出しました。本日7月31日。怒涛の日が続いています。
6月21日 午前中に帰国。16h:印刷屋さんがチラシを届けてくれた。1000枚ずつが束になっている。ドキドキしながら開封。すてき!
17h30: 1300枚をチラシ配布業者さんへ持っていく。宅配便にする時間はない。手伝ってもらって、2人で持っていったが、重い!
演奏会場の外で主催者ではない人が、チラシをビニール袋に入れて配っているでしょ?あれです。案外高い費用がかかります。
以後チラシを配布カレンダーから、配布していただくコンサートを選び、宅配便で送リ届けました。
私自身が配られたチラシを帰ってから見て、それを元に行くことが多いので頼んでいますが、目下のところ効果は殆どなく、泣いています・・・・。捨てないで、しっかり読んで~~~~~!

6月25日 予約の電話第一声が届く。「知らせが届くのを待っていました。9月12日が楽しみです。」・・・以後、7月28日まで友人、知人から、また彼らから情報を得た方から電話やメールで予約を頂いています。ありがとうございます!

国立楽器の中谷孝司さんから、「ブラボー!ホームページで紹介します。」というメールが届きました。2日後にはアップされました。
国立楽器では、イヴ・アンリ先生のマスタークラスが何度も催されました。アットホームな雰囲気のなか、質の高いレッスンが好評でした。レッスンを受けられた方々、国立の森コンサートホールでのレクチャーコンサート『ノアンにおけるショパン』を聞かれた方々に、このスペクタクルの情報が届きますよう・・・。
http://www.kunitachi-gakki.co.jp

2011/08/02

「フランツとマリー」初演本番(2) ノアン音楽祭 2011.6.16 

1.<ペトラルカのソネット 104番>
〔M〕サロンの扉が開き、わたしの目の前に不思議な幻が現れた。・・・・・
〔L〕私は自惚れと自己愛が強く・・・・

2.Chopin/Liszt <Hulanka> <酒の歌>
ショパンOP.74の「6つの歌曲」の4曲目、ヴィトヴィツキィの詩に基づいて1830年に作曲された。給仕女を相手に愉快に酒を飲んで、この世の辛さを忘れるという内容の詩。(ショパン全集/大宮真琴) その曲をリストが編曲した作品。今日はじめて聞いた。ショパンの元の曲をそこねることなく、リストが派手にしたという感じで大変楽しい曲。

マリーとフランツ熱々のころ・・・ジョルジュ・サンドの手紙も登場。フランツのモテぶりがすでに想像される。

3.<コンソレーション 第2番>
4.<ノクターン 愛の夢 第3番>
俳優の話につづいて、これらの曲を聞くと、聞きなれた甘い曲がちがった印象で聞こえてくる。

(つづく)

 

2011/07/24

いよいよ「フランツとマリー」初演本番(1) 2011.6.16 

6月16日 20h30 Spectacle litteraire et musical “FRANZ ET MARIE”(フランツとマリー)

Alain CARRE et Brigitte FOSSAY, comediens(アラン・カレエ、ブリジット・フォセイ、俳優)
Yves HENRY, piano(イヴ・アンリ、ピアノ)

門の横の音楽祭のポスター、本日の公演が書かれている。

20h15 開演を待つ人たちで、会場はすでにほぼ満員。ジョルジュ・サンドの時代の羊小屋が、昨年改装され、今年はさらに整備されて、音響の良いホールに変身。演奏に小鳥の声や雨の音が混じることはなくなった。ちょっと残念な気もする。
20h35 3人の演奏者が舞台に現れ、「ペトラルカのソネット 104番」からスペクタクルが始まった。ピアノの左の横にリスト、右にマリー・ダグーという配置。マリーが招かれていた貴族のサロンに、フランツがひょっこり現れるところから、マリーの語りが始まる。フランツ21歳、6歳年上のマリーは、伯爵の妻であり子どももいる身なのだが、フランツの自由、闊達な態度に強く魅かれた・・・。(つづく)

2011/07/12

リスト生誕200年記念 Nohant Festival 2011年6月4日~7月10日

6月15日(水) バスの便が極端に少なくなったので、15hからのコンサートを聞くために13hごろに会場に   着いた。ジョルジュ・サンド邸の入り口につづく道に、ショパンの像がお目見え。ニューフェース。

館の正面の広場にある小さなカフェでランチをしよう。広場の門をくぐると、フランス人のグループが大きなテーブルを囲んでおられた。2,3歩進んで、「あっ!ジャン-イヴ・パットさん!」音楽にことに造詣の深い歴史学者で、私はこの方が書かれる文章とやさしい人柄が大好き。2年ぶりの再会。「今年はあなたのコンサートと明日のイヴ・アンリーさんのコンサートを聴くためにこの日程で・・・」と話すと、「彼後にいるよ・・・」同じテーブルで一部始終を、多分ニヤニヤしながら見ておられた。準備なしの久しぶりのご挨拶になってしまった。

今日のコンサートは、子どものための「リスト物語」 彼が書かれた脚本を、女優で彼の奥さんのアンヌ・トゥレモリエールが朗読、ピアノ演奏はルイ・ランシアン。生れてから亡くなるまでリストの一生がほぼ語られた。本格的な資料がスライドで映された。貴重な珍しい写真が多く、さすがパットさんの作品。終演後そのことを言うと、「苦労したのですよ。わかってくれて嬉しいです。」・・・。会場には小さな子どもも来ていて、少し難しい内容に思えたが、こういうのを何度も聞くうちに自分のものになっていくのだろう。羨ましい。 

 

2011/07/11

FRANZ ET MARIE Nohant FESTIVAL 16 juin 2011

ノアン音楽祭 

6月16日 20h30  Spectacle litteraire et musical “FRANZ ET MARIE”(フランツとマリー)

 Alain CARRE et Brigitte FOSSAY, comediens(アラン・カレエ、ブリジット・フォセイ、俳優)

Yves HENRY, piano(イヴ・アンリ、ピアノ)

Bergerie Auditorium Frederic Chopin(F.ショパン羊小屋ホール)

2011/06/07

9月12日王子ホールまでの道(3)

2011.6.10 パリへ 6.14 ~ 18  ノアンへ  15日から18日まで、5回のコンサートや講演を聞きます。今年一番の目的は、「フランツとマリー」初演を見ることです。作者にお会いして聞きたいこともあります。ノアンから生中継は無理ですが、できるだけ早い機会に、このブログで、ノアン公演の模様をお話します。21日に帰国したら、フランス初演の3ヵ月後の日本初演に向けて、全力をつくして準備します。

ご来場をお待ちしています。

photo 2010 ノアン音楽祭 フレデリック・ショパン羊小屋ホール前広場 22hごろ

 

9月12日王子ホールまでの道(2)

3月12日~ 余震は続くし、原発のニュースから目が離せない。フランスの友から安否を聞くメールが届く。私の認識よりずっとシビアに伝わっていることに驚いているうちに、外国人が日本を離れているというニュースや、ドイツ大使館が大阪に移った(事実はあるセクションだけ移した)ということを、逆に教えてもらった。フランスのTVやウエブでは、日本のニュースが氾濫しているらしい。私には、フランス人の特派員が記名入りで日本から送っているラジオ・フランスのサイトが一番よく思われたので、そのサイトを教えた。

 

3月15日 これが来日の時に渡す予定だった本のタイトルと出版社名などです。きれいな表紙を添付します。少しなりとも気分転換になるといいのですが…Yves 

表紙のリストとマリーの肖像画を壁にはり Bonjour, comment allez-vous ? 

 

3月28日 電話で、フランスの友人に買って送ってくれるように頼んだ本が到着。すぐに本屋と郵便局に走ってくれ、その上、内容をちらっと読み、素晴らしい本だと太鼓判を押してくれた。Merci beaucoup ! 包みを解きながら、 心がぱっとあたたかくなり、幸せな感じに包まれました。

Correspondence Franz Liszt et Marie d’Agoult

Serge Gut et Jacqueline Bellas / Fayard

このスペクタクルの脚本ソースのひとつである書簡集、リストとマリー・ダグーの交わした562通の手紙が、くわしい注釈つきでまとめられた1344ページの本、ずっしり重い。

 

 4月1日 海外のアーティストの来日中止が続いた…。あれ以来コンサートのテキストそっちのけで、もっぱら原発関連の報道の収集に明け暮れするうちに、こんな状態の日本でコンサートをしてもらうのは、先生に悪いのではないかと思うようになった。知りえた限りの日本の現状を説明して、コンサートの中止を考えていること、私自身のなえた気持を正直に書き送った。

 

4月3日 あなたの立場は完全に理解しています。それを完全に尊重しますから心配しないでください。すべての状況がよくなることを望んでいますが、どうなっていくかを正しく予測することは誰にもできないことでしょう。その上で言うのですが、ホール予約の最終期限まで、様子を見てはどうでしょうか。私自身の実現したい気持ちは変りません。ポジティヴな決定が来るのを待っています。少し変更したテキストとピアノの曲目を送ります。Yves

先生選曲のプログラムのすばらしいこと!聞いたことのない作品もある。「やっぱりやりた~い!」

 

4月4日 劇団ジエン社の「スーサイドエルフ インフレ世界」(日暮里d-倉庫)を見に行った。この時期、予定されていた公演をやめるのも、するのも、その決定の理由を発表せねばならないような雰囲気があった。いろいろな主宰者のそれぞれの宣言に心を打たれ、考えさせられた。

会場には、非常の場合の避難経路のわかりやすい図とていねいな説明が配られた。場内ほとんど満席、結局地震もなく無事に終了。笑いのある楽しい内容の劇ではなかったが、帰り道、不安な心が解消し、来てよかったとしみじみ思った。私もこういう若い人をみならって、何とかやれるのではないかと思ったのはこの帰り道…。

 

4月5日~  希望を持てたものの、心と体は不安定で、言い知れない不安もまたはなれない。ただスペクタクルのテキストを読み、例の太い原書と照らし合わせてノート作りをする時間だけは、すべての心配ごとを忘れ没頭できた。ありがたかった。

 

4月25日 先生とユーロピアノ社の同意と励ましをえて、ついに決心。「やりま~す!」 遅いスタートをきりました。

 

4月26日~~~ スタートは切ったが、やることの何と多いこと!

 

(1)19世紀の、文章を書くことの大好きな人たちの手紙をもとにした文章は難しく、直訳するだけでもなかなか大変。その上、手紙や会話の年代等、注釈が書かれていない、翻訳者にとってはきわめて不親切な脚本で、例の太い書簡集や辞典類を参照しながら、テキストの行間を埋めることに集中した。本来はこういう形の研究が大好きなのだが、時間に迫られての勉強でシンドイ。けれども、太い本の500通以上の手紙の中から、脚本に使われている手紙を見つけたときの嬉しさは格別で、だんだん作者に感謝していたりして!

(2)内容が完全にわかってこそ、できる作業が多かった。チラシ製作は、その最たるもので、「チラシは作品の一つ、いいかげんは許されない、公演の中身をしっかりわかってから書くべし」と考える日本の俳優チームの助言や態度に教えられて、やっと原稿ができた。文字をずらっと並べただけの拙稿が手を離れて、どんなふうに変身するか・・・今は楽しみ、giocoso  con spirito…. 

(3)必須のパソコン作業がいっぱい。きらいではないが、若い人に比べると、目に見えて遅いオソイおそい、molto Adagio….

 

6月7日 (4)(5)(6)・・・・・したがいまして、チケットはできていますが、チラシができるのは、もう少し先になります。

 

*チケットを、イープラスでお求めの方、チラシができたらすぐにアップします。

*王子ホールチケットセンターでお求めの方、チラシができたらすぐに発売を開始します。

*おなじく日仏音楽ぶらぶら散歩からも、お求めいただけます。問い合わせから申し込んでください。

しばらくお待ちください。それから先は、Lento ma non tanto  を心がけます。

 

 

2011年9月12日王子ホール公演までの道 (1) Keiko Okura

2011年

1月 パリにて。「フランツとマリー」がノアン音楽祭で初演されたあと、日本で公演できたらどんなにすばらしいか、イヴ・アンリ先生と話す。まだ夢物語。

 

2月21日 10日に帰国後、9月の開催可能期間内の空き日を調べ、仮予約していた王子ホールを下見に行った。ピアノと演劇が交差するあの『スペクタクル』公演には最高のシテュエーション。その日ランチを友人のピアニストと、ご一緒する約束だった。彼女にこの計画を聞いてもらった。「大変興味深い内容でぜひ聞きたい。いつかなんて言わないでやるべし!」 「やりたい!」

 

2月24日 「フランツとマリー」フランス語のテキストを送ります。読んでください。Yves 

今回もまた何たる幸先の良い偶然!協賛をお願いしていたユーロピアノの戸塚社長、担当の白川さんと午後お会いすることになっていたのだ。そして!協賛いただけることが決まった。公開レッスンのため、3月12日来日されるときに、詳しい打ち合わせをして企画が出発することとなった。

 

3月11日 最初の大揺れの中で、先生がもうすでに機中の人かもしれない、どうしよう?と、時差の計算もできない頭で考えた。想像もしなかった災害で、東京の私たちのあいだでも、あらゆる意味で揺れに揺れる生活が始まった。

 

3月12日 朝5h30 「こんばんは、あなたは元気ですか?来日を中止することにしました。そのほうが良いと判断しました。レッスンに集中することは不可能だろうし、数日は、生徒や聞きに来られる方が、国内で移動することもきっと大変になるでしょう。日本のふたりの俳優と写真を撮る計画は、また別の方法を考えましょう。」Yves

災害の未曾有の悲惨さがしだいにわかってきて、思考能力ゼロの日々がこれから何日も続くことになります。

 

3月14日 あたたかいメッセージが届いた。さっそく先生のHP日本語版にアツプした。

 

大好きな日本の皆さまへ            パリ 2011年3月14日
地震の悲惨なニュースを聞いたのは、翌日の日本への出発にそなえて、わくわくと準備をしていた時でした。このような深刻な状況で他のことに集中するのは、誰にとっても不可能なことですから、私は今回の神戸と東京での公開レッスンを中止いたしました。ヨーロッパでは、これから日本の方々が全員で背負い克服していかれる長い道のりを想像し心を痛めております。この惨劇の中で多くのものを失い絶望されておられる方に、いつか音楽でその苦しみを少しでも和らげることに貢献できるかもしれません。いまはただ苦しんでおられるすべての方々に励ましのメッセージを送り、あらたな災害が加わることのないよう心から祈っています。ボン・クラージュ!元気を出してがんばって! Yves HENRY/イヴ・アンリ/ www.yveshenry.fr

 

 

 

2011/06/05